何もかもうまく行かない理想と現実の厳しさを知りました。今までは軽装で荷物を多く持つこともなかったこととどこか気持ちに甘えがあったと思います。しかし到着時間が決まっている今回は緊張からか体に力が入り思うように動かす事が出来なかったのです。意識はしていましたが予想外なスタートです。それからの毎日は苦行の連続でした。
通勤で苦労したこと
最初の頃は出勤日は週2日の出勤でした。しかも会社側のはからいで通常の勤務時間9:00~17:00の時間帯をずらし11:00から15:00までの仕事をすると言うより会社通勤に慣れることが課題でした。
- 電車の乗り降りはできる限り優先座席の場所を意識
- 降車は後方から押されることもあったので転倒防止に注意
- トイレに困るので水分は最小に止め、早めのトイレ休憩を挟みます
出勤時は時間帯もあり余裕をもって行動することができましたが、帰宅時は学生の下校時刻と重なるため週に1度は接触などの不測事態が発生してました。自宅近くになると最初は足にくることが多かったので転倒の度に起こしていただくき感謝するばかりでした。
まひ障害により出来ないことの多さを知った
会社に到着しても出来る作業は知れていますので悩みました。暖かく受け入れて頂いた当時の上司や同僚のみなさんに感謝は忘れられません。今まで何も考えず書類記入できていたものが片手では書類が滑り思うように書けず時間が取られてしまい今日は何しに来たのかと落込みました
- 書類が動かないように左手を置いてして記入するが意図せずまひ手が動き思うように記入できない
- ハサミを使うにも思うように切れない
- パンチした書類をとじ込みファイルにつづる時間が掛かりすぎてしまう
- パソコン操作で同時キーを抑えることが出来ない
- 目線を動かし転記する数字の場所がズレてしまい見間違えでやり直しが多くなってしまう
- 会話に口が追いつかないのではっきりと意見を言えないことが多くコミュニケーションがとれません
できない事務作業も多くどうしても健常時と重なりなんとも言えない虚しさばかりでした。
こんな状態で仕事をしたと言えない自分をだんだん許せなく社内でも下向くことが多くなりました。
やめたいと思うよになった時期でもあったのですが子供の養育費もありやめることも出来ない毎日でした。
改善への足掛かり
組合の委員長から障害者雇用の実践会社への見学を薦められ行ったことが事務作業の改善への手がかりとなりました。
その会社の職場は障害雇用を率先しておこなっており、障害者と健常者が共存する不思議な場所でした。床には車いすの障害となる段差はなく前後に開く扉と通路には手すりが設置されていました。また職場の机上には鉄板が貼られ磁石で用紙を固定できる工夫がされていました。クリップや整理棚は色分けと点字シールが貼られ障害者が健常者にお願いしても提出先を間違えない工夫がされていたのは驚かされました。聞けば口が不自由な人に少ないストレスで勤務してもらうためと説明を受けました。また職場一体となって改善提案にとりくんでおり私が目にしたものは提案の一部と説明を受けてさらに驚きました。
私の中のわたし
私の中には現状を受け入れずこれぐらいならひとりでできると思うわたしが居ます。手順や必要な書類の確認をどの書類に目を通し記入後の提出先までを長年の経験によるものです。がしかし作業が追いつきませんどうしても少しずつ作業が遅れていきます。それでも諦めず作業時間が足らなくなることがしばしば発生する原因はわたしのプライドでした。
勇気をもってお願いする
遅れているのは障害者だから仕方ないといつの間にか自分の正当性を心の中で主張するようになっていきました。周りの同僚も気遣い声をかけてくれましたが「もうちもうすぐできますすぐできます」と自分目線で周りのことを考えなかったのです。
見かねた上司が「もっと時間を考えて行動してしてください」と「手作業ができないことや時間が足らない時は言ってください」と叱責の後に作業を最後まで手伝って頂いた上司の姿を見て今までうやむやになっていた口に出す勇気を得ました。私はこの経験でお願いすることも勇気が必要だと知りました。
今の自分を受け入れる
ダメダメだと思って仕事をしていましたが周りのにあえて苦言をいわれたことでわたしという存在を受け入れていなかったのが私自身であり、同僚との壁をつくる結果となっていました。いつの間にか身体障害が心まで障害を及ぼすようになっていました。のちにメンタルクリニックに通院して医師にこの話をしました。医師は「脳出血でまひを発症した患者の多くが高次脳機能障害やうつ病を患う同様の症例報告を受けます。気付きが一番大切なのです」と言われました。今はそんな自分を受け入れ出来ないものはできる人やモノに頼ることを心掛けています。